▼東海道五十三次
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歌川広重(ひろしげ)
寛政9年~安政5年(1797~1858) 歌川豊広門下 岡島林斎から狩野派、大岡雲峰から南画を学ぶ。役者絵・武者絵・美人風俗画などを描き始める。文政後期より風景画に手を染め、天保2年「一幽斎描き東都名所」シリーズを発表、天保3,4年の「東海道五十三次」(保永堂)によって風景浮世絵師の地位を確立し、以後諸国名所絵、江戸名所絵の傑作をつぎつぎと発表した。

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日本橋(朝之景)

京都まで126里半東海道五十三次の起点、あわただしい朝の日本橋界隈の情景が描かれている。
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京 都(三条大橋)

東海道は江戸・日本橋から京・三条大橋までの間、五十三の宿場で結ばれ京都三条大橋が東から来た旅人の最終と到着地点です。
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品川(日之出)

。品川沖から鮫州沖の海と茜色に染まった空が描かれている。
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大 津(走井茶店)

奈良時代から「古津」と呼ばれ、東海道・北国街道そして琵琶湖の水上交通の重要な要でした。
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川崎(六郷渡舟)

川崎宿は品川宿、神奈川宿の伝馬百姓の負担を軽減するために設置され、本陣がなく、農村とあまり変らない宿場町として誕生しました。
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石 部(目川ノ里)

京立ち石部泊まりと言われたように、京都から江戸へ下る旅人が一番はじめに泊まる宿場でした。
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神奈川(台之景)

日本橋から三番目の宿場町であり、日本橋からは七里ほどで、一日で往復できる距離にありました。
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水 口(名物干瓢)

関ヶ原の戦いによって水口岡山城は落城。
このため、亀山宿同様に水口宿も城下町でありながら幕府の直轄領という変則的な形態をとることになります。

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保土ヶ谷(新町橋)

江戸を出発し、戸塚までたどりつくのが困難な人たちの最初の宿泊地でした。
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土 山(春之雨)

当時の町並みの雰囲気が今なお色濃く残っており史跡の表示も行き届いています。
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戸 塚(元町別道)

戸塚宿は。江戸を出発した旅人にとって最初の宿泊地となりました
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坂之下(筆捨嶺)

難所の鈴鹿峠の東麓にあり、上り下りの旅人でにぎわった。今では、数十件の民家と、茶畑の中に立つ本陣跡の石柱を残すのみである。
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藤 澤(遊行寺)

大鋸橋とその下を流れる境川を描いています。鳥居は、藤沢宿から江の島参りに向かう「江の島道」の入口を表わす第一鳥居です。
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関(本陣早立)

家数632軒、人口1942人(1942年の記録)。日本三関の一つ「鈴鹿の関」のおかれたところで、古来交通の要所であった。伊勢別街道及び大和街道の分岐点として繁栄してきた。
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平 塚(縄手道)

平塚宿には、平塚宿による西組問屋場と、平塚新宿による東組問屋場があり、宿泊よりも休憩に利用されることの多い宿場だったようです。
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亀山(本陣早立)

「亀山-雪晴」は、高低差のある見事な構図で、高みの多聞櫓は県下唯一の城郭建造物として現存している。雪晴れの空と遥か鈴鹿峠を望む眺めは今も変わらない。
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大 磯(虎ヶ雨)

日本橋から8番目の宿場で、平塚宿と小田原宿の間が東海道でも有数の近距離になるため宿泊者が少なかったようで
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庄 野(白雨)

他の宿駅より遅れて設けられたせいか、それほど賑わいはなかった宿場らしい。今でも古いたたずまいが残っている。
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拡大画像 小田原(酒匂川)
領主の居城を中心に整備され東海道沿いには町屋が集中し、宿場町としての特有な町割となってます。
 
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石薬師(石薬師寺)

石薬師寺にちなんで宿場名が付けられた。宿場の中ほどに大木神社の椎の森があって神社の入口に小沢本陣の後が残っている。
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箱 根(湖水図)

箱根西坂道は両脇には峠より山中新田まで杉、ここより三島宿間は松が植えられ、三箇所に一里塚が設けられ道には石が敷かれていた。
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四日市(三重川)

四日市は市庭と湊から発達した所といわれ、16世紀頃には四のつく日に市が開かれていたという三重県最大の都市で海陸交通の要所である
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三 島(朝霧)

宿内の小浜池等には富士山の地下水が湧き出し、それが小川となって宿場内を流れていた。
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桑 名(七里渡口)

東から来た旅人には、伊勢神宮への第1歩の宿場であった。市内には各所に歴史的遺産が残されており、情緒あふれる風情を今に残している。
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沼 津(黄昏)

宿内には橋がなく川を船で渡っていた、港町として栄え、遊興の町並みも開けていたといわれている。
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宮(熱田神事)

熱田神宮の門前町で、熱田宿とも言う。七里の渡し場、佐屋路・美濃路の分岐点、62万石の城下町名古屋の表口として東海道随一を誇った
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原(朝之富士)

原という地名は、この地に接した浮島沼がつくり出した浮き島ヶ原に由来する。海辺であるため漁業も盛んであった。 
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鳴 海(名物有松絞)

尾張藩領の中でも大村で中世末までは海に面した地。鳴海潟として知られていた。
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吉 原(左富士)

ここ吉原宿の手前の松並木から左に富士山が見えることにより「左富士」と呼ばれている。
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地鯉鮒(首夏馬市)

古来馬市や木綿市が開かれ、地方経済の一要衡をなしていた、また知立神社の神官・豪族永見氏の築いた城址があり旧城下町的な村落。
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蒲 原(夜之雪)

富士川の舟運で米や塩の輸送基地として栄えた。
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岡 崎(矢作之橋)
府中、宮と並ぶ豪華な宿であった。今は昔日を偲ぶ家並みも少ないが、二十七曲の碑をたどりながら史跡を訪ねることが出来る。
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由 井(由比)

製塩なども行われたのどかな農漁村。現在も本陣をはじめ、往時の建築様式をとどめる民家もある。>画像クリックで拡大画像
 

藤 川(棒鼻ノ図)

むらさき麦と藤の花の美しさが道中記や古歌に多く詠まれ塩の道「吉良街道」に通じる交通の要所でもあった。>画像クリックで拡大画像

興 津(興津川)

由比宿との間には難所で知られた薩埵峠があり、旅人にとっては重要な宿であった。
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赤 坂(旅舎招婦ノ図)

御油からわずか1.7Kmと東海道の宿駅間で一番短い距離。幕府の直轄地で御油同様大いに旅人でにぎわった。
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江 尻(三保遠望)

巴川のほとりに発達した江尻は清水次郎長でもおなじみの清水港にも隣接し、川や海を利用した交通が盛んだったところ。
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御 油(旅人留女)

本坂道との追分宿としても栄え、全戸数の2割に当たる60軒以上の宿屋が立ち並んでいた。御油の甘酒が有名。
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府 中(安倍川)

駿府の国の政治の中心地であったことから府中と言われた。古代から政治の中心地であった。
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吉 田(豊川橋)

古くは今橋という。三河随一の城下町として栄えた。>画像クリックで拡大画像

丸 子(名物茶店)

現在でもとろろ汁が名物の丸子宿は、安部川の川越を扱い、川越人足が多くいた。
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二 川(猿ヶ馬場)

東海道五十三次33番目の宿場町。現在でも江戸時代の町割がほぼそのままの状態で残りここと草津だけに現存する本陣の遺構がある。
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岡 部(宇津之谷峠)

道は平安の古道である蔦の細道と、秀吉が開いた東海道に分かれる。
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白須賀(汐見阪図)

名所記に「あずきをつつみし餅、うらおもて柏葉につつみたる物也」とあり、柏餅が名物であった。
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藤 枝(人馬継立)

田中城を仰ぐ田中藩の城下町。相良に通じる田沼街道、高根白山神社への参道高根街道、瀬戸谷街道など交通の要所であった。
 

荒 井(渡舟ノ図)

地震及び津波によって宿の位置は二度変わっている。宿には新居の関所と渡舟場があり、数百隻の舟を有していた。   
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嶋 田(大井川駿岸)

箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川、明治になるまで橋や渡船もなかった
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舞 阪(今切真景)

浜名湖を前面にしたこの地は早くから交通の要所で今川氏の時代に宿駅の負担が課せられていた。
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金 谷(大井川遠岸)

金谷本宿と、加宿河原町の二つによって成り立ち、大井川境から牧の原境まで達していた。
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浜 松(冬枯ノ図)

東海道最大規模の宿場。太平洋戦争で町のほとんどが焼けてしまったが、徳川ゆかりの社寺が残り、伝統の凧揚げ祭りは名高い。
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日 坂(佐夜ノ中山)

徳川幕府直轄として代官支配下に置かれ、日坂宿の特徴となっている防火用の空き地が数多く整えられた。
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見 附(天竜川図)

「富士山あらはにみゆるゆへ見付台とゆう」と古文書にあり、西から来るとここから富士山がはじめて見えたと思われる。
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掛 川(秋葉山遠望)

掛川の名産は葛布。秋の七草の一つである葛の繊維で織り上げる。古くは鎌倉時代から作られた
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袋 井(出茶屋ノ図)

昔日を偲ばせる松並木が、宿の東部にかなり残っている。油山寺、可睡斎、法多山の遠州三山は袋井駅からバスで20分で行ける。
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木村 徳次郎

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